森下丈二氏記者会見「IWC脱退と捕鯨の今後」会見報告

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2019.02.18

森下丈二氏記者会見「IWC脱退と捕鯨の今後」概要
2019年2月4日(月)15時00分〜16時30分
渋谷・道玄坂会見場

登壇者
森下丈二(IWC日本政府代表、東京海洋大学教授)

森下丈二氏の記者会見

森下 ご紹介がありましたように、ずっとクジラをやっている関係上、こういうことはよくあるんですけれど。ある意味では非常に画期的なというか、なかなか起こらないこと。私自身もちょうどそういう時期に代表をしているというのは何かの巡り合わせではないかと思っています。

今日は脱退の話を中心に、これからどうなるかということも含めてお話ししていきたい。
まずはいろいろと新聞などの見出しでも短絡的に「脱退という話じゃないだろう」「もっと交渉を続けたらいいんじゃないか」とか。あるいは「粘り強くやるべきだ」という話も出てきたんですが。実は国際捕鯨委員会(IWC)の世界では、私は「和平交渉」と勝手に呼んでいるんですけども、反捕鯨の立場を取る国々と、捕鯨をやりたい国々、あるいは後でお話ししますが、クジラを資源として持続可能な形で利用したいというグループが真っ二つに割れているという状態が長年に渡って続いております。

有名な「商業捕鯨モラトリアム」が採択されたのが1982年になります。それ以降はいろいろな国際交渉を私もやってきましたけど、これはちょっと不思議というか、異常じゃないかというほどの対立が見られた。
そんな中で各国とも当然ながら、心ある人たちという言い方がいいかどうかわかりませんが、国際機関としてそれはよくないだろうということで、何回か妥協を探ろうという動きがありました。それを私は「和平交渉」と呼ばせていただいている。

主なものを挙げると、アイルランドが提案したものが1990年代の終わりにありました。一部重複してはいるんですが、捕鯨再開の条件として「改定管理制度(RMS)」というシステムを作ろうという導入の会議が1992年から15年近くにわたって行われました。会議の数だけでも50回近い。

IWCの将来プロジェクト

それでもなかなかうまくいかないということで、2007年から交渉を始めた「IWCの将来プロジェクト」というものがあります。
その後、2010年に豪州が日本を国際司法裁判所に提訴します。ある意味では話し合いに先に見切りをつけたのは豪州と言っていい。
交渉はこれだけやってきましたが、全て失敗しました。相当な時間と労力を費やして会議をやったんですが、全部失敗。

なぜかということを説明したい。交渉ですから、あらゆる外交交渉と同じように、一つのグループはこういう立場に立つと。「クジラを持続可能な資源として利用しましょう」という立場です。もう一つが「捕鯨に反対」「反捕鯨」。
となれば、交渉をする場合、どこか中間点を見つけて、両方に受け入れられるような着地点を探すことになる。これはあらゆる外交交渉の常套手段です。

それをやる場合、当然、かたや「捕鯨をやりたい」、かたや「させない」ということになれば、今よりも規模の小さい捕鯨で何とか妥協点を見つけるというところに落ちてくる。これは誰もが考えつくことです。
先ほどの「アイルランド提案」では「捕獲枠の設定は既存の沿岸捕鯨に限定する」「その他の海域については全世界でサンクチュアリ(捕鯨禁止)」と。捕鯨が将来的にあまりに大きくなることに対する懸念が反対派にあったこともあり、「国際取引は禁止」。獲ったら地元で消費する。調査捕鯨に関しても疑問があったので、ゆくゆくは「科学的特別許可(調査捕鯨)を中止」と。

こうした妥協案の項目を挙げた。全く驚くに当たらない。よくある形だと思います。
それ以前の交渉でも基本的には同じようなことをしています。進むに連れて精緻化していって、項目は増えた。「IWCの将来プロジェクト」を始めた頃には確か30数項目がありました。結局は一部の捕鯨、あるいは小規模の捕鯨を認める代わりにいろいろなクジラの保護にも力を入れるということです。

「日本が蹴ったから動かなかった」とよく言われます。一番最後の「IWCの将来プロジェクト」で出てきた提案も似たような感じになっています。
当時の日本の言い方は正確に言いますと、「日本としてはこの提案には満足しない。だが、交渉のいいベースになるだろう。これから話してきましょう」と。他方、今、IWCで反捕鯨グループとして大きなものの一つである「ブエノスアイレスグループ」はその場で「駄目」と。それから豪州は先ほどお話ししたように、「IWCの将来プロジェクト」が出てくる1〜2週間前に日本を提訴した。当然ながら、「交渉する気はない」という意思表示です。

「日本が蹴ったから動かなかった」とよく言われますが、こうしたことが起こっていたんです。
交渉が失敗してきた大きな理由は反捕鯨グループの全てではありませんが、かなりコアな部分が「1頭たりとも捕鯨を許さない」という立場を取っています。彼らの言葉をそのまま使うと、「そこから1ミリも動きません」と。ですから、どんなに小さな規模であっても、今より小さな規模であっても、捕鯨が入っている限り、その妥協提案には「ノー」なんです。こういう形になってしまった。

捕鯨反対国との交渉の頓挫

冷静に考えれば、今より捕鯨の規模が例えば半分くらいになるのであれば、反捕鯨グループからしたら「前進」のはず。ところが、「ゼロではない」「捕鯨が入っている」ということで反対する。
交渉はそういう形で全部頓挫してきました。論争になっているものとしていろいろな言い方、あるいは進展があると思うので、それを少し挙げてみます。

一番最初は科学的な問題。「科学的に不確実性がある」と。あるいは「捕獲の枠が本当に持続可能なのか」。こういう議論が続いてきました。それが1982年の「商業捕鯨モラトリアム」の採択につながる。これが交渉の一つのベースになりました。

モラトリアムの採択後、IWCの科学者は1992年、安全な捕獲枠を計算する式を早くも開発しました。これは満場一致で採択されている。ですから、科学の問題はある意味そこで決着しています。当時の科学委員長は英国人ですが、「非常に大きな科学の問題に決着がついた」という文書も残しています。

ところが、その後、「捕獲枠はちゃんとできても、違反があるだろう」「ごまかしもあるだろう」ということで、「監視取締措置をちゃんとしよう」というのがRMSになります。

それに対して日本やノルウェーなどが「外国の監視員を船に乗せよう」と。あるいは今、DNAの技術が高まっているので、日本で出回っているクジラのうち正当なものは全てDNA登録をして個体識別できる。皆さんが渋谷の「元祖くじら屋」さんに行って、肉のかたまりを持ってきて、それをDNA分析して、日本政府、日本鯨類研究所が持っている戸籍があるんですが、それと照会して、合わなければ、密漁。合うかどうか1頭1頭全部区別できます。

そういうのは抜き打ちで調査もやっているんですが、密漁で大きなもの、怪しいものは最近なかなか見つからなくなってきました。
その後もどんどんやっていったんですが、また少しシフトが起こりまして。「商業性があってはいけない」という。「捕鯨をやるに当たって、金銭が動いてはならない」と。

これがだんだん広まってきまして。「先住民生存捕鯨」というのが認められています。米国もやっています。そこでは先住民の人たちが例えば、スノーモービルに乗ったり、燃料を買うのにお金を払ったりしていると、「それは本当に先住民捕鯨か」といった議論が起こり始めています。「あらゆる商業性を排除する」というような動きです。それはほとんど無理だと思うんですが。

これにも実はいろいろな知恵を使いまして、商業性を排除するための提案をしてきた。
そのうちに「カリスマ動物コンセプト」と呼ばれるものが出てきました。「クジラは特別だ。他の動物とは違うんだ」というわけです。日本ではまだそれほど注目されてはいませんが、外国では文献もすごい数が出ています。保全生態学の中の一つの分野になりつつある。
一定の動物については扱いが違う、扱いを違えるということがだんだん事実として起こってきている。クジラはその代表。こうなると、もうクジラに手をつけること自体が悪なんですね。

商業捕鯨モラトリアムについて

少し話を変えまして、「『商業捕鯨モラトリアム』があるから捕鯨ができない」あるいは「『商業捕鯨モラトリアムを基に捕鯨が禁止されている」という理解が広くあります。「商業捕鯨モラトリアム」は1982年に採択された法的拘束力を持った文書です。

具体的には国際捕鯨取締条約のここには何が書いてあるのか。もしかすると、一般的なイメージとは少し違うかもしれません。
この時点であらゆる資源、クジラについての資源の商業目的での捕獲頭数はゼロです。「捕獲頭数をゼロにする」ことと、「捕鯨は悪いものであるから永久に禁止する」ことの区別をちょっと覚えておいてください。

いろいろな漁業資源について、資源が悪ければ、あるいは資源について科学的なデータが十分でなければ止めるということはあり得る。「捕獲枠をゼロにする」ことと「捕獲を禁じる」ことの間には非常に大きな違いがあります。

この考え方が間違っていないことの証拠が二つ目の文章にあります。それを見ますと、この規定そのものは最良の科学的な助言に基づいて検討される。時限を切っておりまして、遅くとも1990年までに、このモラトリアムの規定のクジラ資源に与える影響について包括的な評価を行って、他の捕獲頭数の設定について検討する。「他」というのはゼロ以外という意味。ゼロ以外の捕獲頭数を検討するということです。

もう少し簡単な日本語に直すと、商業捕鯨を一時止めておいて、8年間なら8年間の間にデータを集めて、科学的な評価をし直して、ゼロ以外の捕獲枠を検討しましょうと。つまり、これは捕鯨の再開手続きです。ところが、この「商業捕鯨モラトリアム」は捕鯨禁止の文書としていろいろなところで意味付けされてきた。これが捕鯨問題の一つの根っこなのかもしれません。

ほぼ30年にわたっていろいろな交渉をやってきて、全部潰れてきた。それを受けての今の状況がある。
簡単に構図を言ってしまうと、クジラ、それから捕鯨問題について、どうも完全に相容れない考え方が一つの国際機関の中にある。今、歴然として存在しているわけです。

かたや日本を含む「持続的利用支持国」といわれる国々はクジラを資源と考える。もちろん、資源状態が悪ければ守るわけです。ですから、日本は「シロナガスクジラが食いたい」なんて言ったことは一回もない。資源状態が悪いものですから。

「豊かなクジラだけを獲らせてくれ」という言い方をしてきたんですね。それも捕獲枠を決めて、上限を決めてということです。
他方、カリスマ動物のコンセプトにありますように、とにかく「クジラはどんな状況でも獲ってはいけない動物なんだ」「環境保護のシンボルだ」と見る考え方があるわけですね。

ところが、今までは科学の問題、データの問題、日本の調査捕鯨もそのためにやったわけです。それから、取締の問題、商業性の問題。こういうものが延々と議論されてきた。何十回と会議をやってきて、全部潰れたわけです。
そもそもそれらが解決しても、「捕鯨はやらせない」という考え方が強くあったわけですね。

変な言い方ですけど、数学の試験を受けるのに、一生懸命英語の勉強をしているようなところがあった。本質の問題を議論していなかったわけです。数学の試験に合格するのであれば、数学の問題をやらなければならない。
ここから考え方が変わってきた。というか、日本の代表団の考え方が変わった。本当の問題について、クジラと捕鯨について明らかに根本的な違いがある。これをちゃんと議論して、どうすればいいかということを考えましょうと。そういう議論を意図的に始めました。

交渉の転換

私が代表になった2013年以降の動きです。2010年に採択があった。最後の提案が出てきて潰れたわけですけども。それから国際司法裁判所の判決が出たのが2015年になります。この時期に「どうも今までのような交渉をやっていては駄目だな」ということをやっと見抜いたというか、見定めた。

昨年9月の会議に向けて4〜5年間の月日をかけて全く違うアプローチで提案を作ってきました。まず最初に2014年の会議。二つ前の会議です。今説明しましたように、問題は科学でもないし、法律でもない。クジラという動物に対する根本的な違いだと皆さんにわかってもらわないといけない。「それがわかるような議論を挑みましょう」ということで2014年はやった。

沿岸型捕鯨という日本の小さな捕鯨の操業枠をくださいという提案をした。それも科学委員会のデータを使って、「取締は何でも受け入れます」とやったんですが、否決。

従来ですと、これで「また負けた」と言って終わっていました。実はこの会議のときは否決は当然想定内だった。「ここから議論を始めよう」ということで。「じゃあ、何で反対したんですか?」と。「科学的データなんですか? 法律なんですか? あるいは商業性なんですか? 言ってください」ということをねちねちねちねち4日間問い続けました。その後も文書で答えを求めたんですね。

豪州なんかは「捕獲枠を計算する方式には8つほどのステップがある」と。「日本はそのうち3つくらいまでのステップで捕獲枠を提案した」という言い方をしました。
「じゃあ8つまで全部終わったら、捕獲枠を許してくれますか」と聞いた。答えは「ノー」だという。
「ならば、議論しても意味がないでしょう」と。「反対する意味がないんじゃないですか」ということを見せたかったんです。

それを受けて2年半前の会議で「今までのように数学の試験のために英語の勉強をするのはやめましょう」と。「数学の試験なら、数学でやりませんか」ということを持ち掛けた。
「話し合いはもちろん歓迎する」ということで。会議後、「IWCのウェブサイト上で公開の会議をやろう」と提案したわけですが、一部の反捕鯨国の代表から「公開の場で議論したくない」という話が出てきまして。
ある国の代表に言われました。
「クジラを殺すのはわが国では人間の赤ん坊を殺すのと同じだ」と。
結局、「テロリストとは交渉しない」と言います。だから、「悪」とは交渉したら駄目なんです。それが一般の人に見えると、自分たちは政府の立場として、「何でお前たちは『絶対悪』と交渉しているんだ?」と言われてしまう。「だから、表の場では交渉できない」という言い方をされた。

そこで、パスワードを使ってしか開けないIWCのウェブサイト上で話し合いをしました。結果としては「何があっても、自分たちは捕鯨を許しません」という言い方。「それが自分たちの国の立場です」と。そこから出ませんでした。残念ながら。
それを受けて出たのが、昨年の会議での提案です。昨年の会議の提案の大きなところは「捕鯨再開提案」という見出しがいろいろなところで飛んだんですが、われわれも今まで捕鯨に反対するグループからの提案には全て反対していました。ある意味では。それはもう白か黒かしかなかったんですね。

今回はそれをやめた。「文句は言いません」と。「Agree」と「Disagree」、お互いに合意できないことに同意した上で「相手のやりたいことを受け入れましょう」と言うような。日本からすれば、かなり大胆なことをやった。「共存提案」をしたわけです。これが前回の提案です。

これもひどい言い方を私はいろいろなところでしています。これはいわば、「家庭内離婚提案」。カップルがどうしようもなく立場が違って、お互いのことが嫌いになる。でも、家は1軒。IWCですね。じゃあ、どうするか。昔、米国のコメディー映画にもあったんですが、家の中に1本の線を引く。「あなたはここからこっちには来ません。私も行きません」と。「これで平和共存しましょう」というわけです。日本は実はそういう提案をしていたんですね。

改革提案として、IWCの下に二つ科学委員会を作る。片方はクジラを利用する話、もう片方はクジラを守る話をする。お互いが決めたことはできればそのまま総会に上げて通してしまう。反対はしない。
この提案をしたのが前回の会議のミソです。で、これは否決されました。結局、共存することを否決によって否定された。

もう一つ、これは偶然だったんですが、会議をホストしたブラジルから「フロリアノポリス宣言」が提案された。フロリアノポリスは会議が開催された都市です。
提案の中身は「IWCはもうすでに進化したんだ。この後はクジラを守ることに専念しよう」。簡単に言えば、そういうことです。
ですから、前回のIWCで出てきた明確なメッセージは「共存はできません」「交渉はできません」「今後はクジラの保護に専念しましょう」というもの。

これを受けて、日本から谷合正明農林水産副大臣が総会で「あらゆる選択肢を精査せざるをえない」と発言して帰ってきた。実はこれも「そうなるだろうな」という想定はありました。
こういうステップを踏ませていただいた。ここに至るまでには相当な準備といろいろな想定をした上で臨んでいます。もちろん、想定内ではあったと言いながら、こうなってほしくはなかった。うまく受け入れられれば、この提案で行くつもりだった。共存する世界でわれわれは生きるつもりだったんです。残念ながら、脱退の通知ということになりました。
「それでも、やはり残って頑張ればいいじゃないか」という意見に対する反論と言いますか。状況に関する事実をいくつか挙げておきます。

IWC脱退と今後

IWCで捕鯨を再開するにはどういう形であれ、4分の3(75%)の賛成票が必要となります。現在のパワーバランスは持続的利用支持国が約27。反捕鯨国が約40。欠席国・投票停止・棄権国、これはお金を払っていなかったり、出席しなかったりという国でだんだん増えています。これらが約20以上。
とうことは75%を取るためには40の3倍。120票が必要になります。あと93票をどこかから持ってこないといけない。それはなかなかきついだろう。

IWC加盟国の推移を過去70年ほど振り返ってみましょう。1948年に15カ国でスタート。現在は日本を含めて89カ国です。これ以上加盟する国はさすがにないだろうと思われます。
「科学的データを積み上げれば、理解してもらえるだろう」という声もあります。先ほどの豪州の話でもありました通り、科学的データがどんなにきちんとしていても、駄目だと言われる。これも交渉にならないわけです。

実際に調査捕鯨でいくつかのクジラが捕獲できる。捕獲枠を出せるということは証明済みです。これはIWCの科学委員会も認めている。科学委員会は実際に捕獲枠を出せるところまでいくつかの鯨種については議論しています。ただ、「捕獲枠を出しなさい」という指示が親委員会から来ない限りはできない仕組みになっている。ですから、そこから進まない。

それから文化論。私はこれをあまり使いません。「捕鯨は日本の文化だからやらせてくれ」という。この言い方がいいかどうかは別として、こういう議論はあります。
ただ、これは例えば奴隷文化だとか食人文化なんかと同じだと。かつては文化であったかもしれないけれども、今はそういうものは生き残ってはいけない。そういう言い方をされます。文化の証明もIWCでは通じない。

それから、「クジラの需要が減っている」という点もよく指摘されます。これは議論の場というよりは日本側の危機感かもしれない。
ただ、これは「商業捕鯨モラトリアム」などの導入で供給がどんどん落ちている面がある。地域的な需要が残っているところも根強くあります。ただ、日本全体からすると、鯨肉を食べたことのない層が増えているのは間違いない。食べた経験がなければ、需要はなかなか出てこない。これは事実だと思います。

もう一つ、捕鯨に対するネガティブイメージが固定している。「捕鯨は環境破壊だ」という印象が強すぎるんですね。よく考えると、資源を悪化させないでずっとクジラを獲り続けることのどこが環境破壊なのか。よくわかりません。ただ、そういうイメージができてしまっているのも間違いないところです。その中で交渉することの難しさもある。
で、脱退をしたわけです。2月3日にも自民党の会議がありました。皆さんにも情報が入っていると思います。脱退したからといって、自由に捕鯨ができるわけではありません。日本としても、国連海洋法条約をはじめ国際法は遵守する。南極については国際法上の問題で行けなくなります。

理想としてはIWCに代わる国際機関を作っていくのが一番いい。脱退はゴールではないんです。ある意味では始まりとも言える。
これも変なたとえでよく笑われるんですが、結婚式を「ゴールイン」と言いますが、ご存じのようにあれはゴールではありません。そこから始まる。
脱退も全く同じで始まりです。ここからどんなビジョンを日本が出せるか。国際世論に背を向けたつもりは一切ありません。国際社会に対してクジラという持続可能な形で利用できる資源をどう使うのかを訴えられる仕組みにしていけるか。これは今から始まるわけです。そういう意味では、これからが面白い。

クジラをはじめ海産哺乳動物を獲っている国は少ないというイメージがあるかもしれません。しかし、1990年以降、2009年までの間に少なくとも114カ国で87種の海産哺乳動物が消費されている。そのうち54カ国では海産哺乳動物の捕獲は経済的(現金の)利益をもたらしました。つまり、商業性があった。

こういう厳然たる事実が世の中にある。その中で「クジラは特別だから」といって管理もしないというのは間違っているというのがわれわれの立場です。管理をしないといけない資源なんです。これだけの国が使っているわけですから。それをできないのがIWCです。IWCはクジラをカリスマと見る国々によって「管理をすることが悪」となってしまう。管理とは捕鯨を認めることになりますから。
しかし、先ほどお話ししたように国際社会にニーズはある。その中で新しいビジョンを出せるのか。これが日本をはじめ持続的利用支持国の課題だと思います。

質疑応答

揖斐 基本的なことですが、お話の中にもあったように、日本国内の捕鯨に対するニーズは市民感覚としては減っていく一方かと思います。現在の調査捕鯨の中で十分賄えているんじゃないかという感覚がある。その中でIWCに対して提案をしていく中で否決され、脱退に至った。「そこまでしなきゃいけないのか」という思いを抱いている国民も多かったのではないでしょうか。そのあたりについてお話しいただけますでしょうか。

森下 今のご意見はよく聞かれます。言い換えれば、今、調査捕鯨をできているんだから、永遠にそれをやる。現状維持でいいじゃないかと。そういう言い方もできます。
現状維持では恐らく駄目です。少なくとも私の中にはいくつか理由がある。

例えば、先ほど日本国内での無関心というお話をしました。それを望んでいる方もいるかもしれませんが、現状維持でずっとやっているうちに捕鯨への関心が自然に消滅してしまう。これはあり得えます。そこに対する危機感はある。
それから、調査捕鯨は永久に続けられるのか。これは国際司法裁判所の判決が大きかった(2014年3月31日、南極海での調査捕鯨を「科学的でない」と結論づけ、現行制度での調査捕鯨の中止を命じる判決が出た。日本は全面敗訴)。豪州は「日本の調査捕鯨は国際捕鯨取締条約が認める科学的研究のための捕鯨ではなく、実態は商業捕鯨」として提訴した。判決はこれを支持したものです。

しかし、調査捕鯨をすればするほどデータは溜まっていく。商業捕鯨を再開するためのデータは明らかに蓄積されているわけです。それ以上続けるときにはもっと難しい科学的な課題をある意味突きつけられる。やればやるほど科学的なハードルが無理も含めて高くなる。
例えば、捕鯨を行う場合、ミンククジラならミンククジラの中に「系群」というグループがあります。生物学的には人間はホモサピエンス1種です。ただ、われわれのようなアジア人種もいるし、白人もいれば、アフリカ系の人もいる。お互いに子供も生まれるし、その後も続くわけです。でも、肌の色や体つきなど、いろいろな面で明らかに違う。

実は保全生態学の世界では、これがクジラの世界に当てはまるのであれば、別々に管理するという仕組みがある。日本のミンククジラは日本海側に一つのグループ(日本海系群=J-Stock)、太平洋側にもう一つ(オホーツク海・西太平洋系群=0-Stock)がいます。ただ、これは小さくすればするほど実は獲りにくくなる。一個のグループが小さくなるので、それぞれをちゃんと保存しないといけないという形になれば、どうなるか。実際に獲るときにはごっちゃになる可能性がありますので、なるべく枠を小さくしないといけなくなる。

ある時点で反捕鯨国の学者は日本の周りに13の小さなミンククジラの系群がいるとした。日本側の知見では2つです。データもそれ以上出てこない。
ただ、データを積み上げて「13いる」という考え方に反論できるかというと、極めて難しい。これは「宇宙人がいないことを証明せよ」「ネッシーがいないことを証明せよ」というのと同じ。いわゆる「悪魔の証明」です。

宇宙人がいることを証明しようと思えば、渋谷ででも歩いているのを一人捕まえてくればいい。いないことを証明するためには、世界中の人を一人一人全部チェックしても、もしかしたら、そこから逃れているんじゃないかという可能性が必ず残ります。それについてどんどんデータを溜めていっても、答えが出ないものが出てくる。
科学の進歩は明らかにあります。日本のものについてクジラを実際に捕獲しなくても取れるデータが増えていく。これも事実です。

現在の調査捕鯨では1頭当たり100項目くらいのデータを取るんですが、時間が経てば経つほど、そのうちクジラを捕まえないと取れないデータの割合が減っていく。これは科学的な進歩なわけです。
ですから、どこか将来の時点で「捕獲をする調査」を正当化することがだんだん難しくなってくる。これは本来の問題ではないはずです。「クジラをいかに持続的に利用できるか」ということを議論していたはずなのに、いつの間にか「調査で何かを証明できるか」という話になっている。これもおかしい。

それから、「直接に」というとおかしな話かもしれないんですが、日本の商業捕鯨が再開できるかどうかはわれわれがIWCにいるいくつかの理由のうちの一つに過ぎません。「商業捕鯨が再開できないから脱退した」「新たな国際機関を作らなければならない」かというと、これは一部の理由でしかない。

要するにお話ししてきたように、科学的データが集まろうが、捕鯨が法的に許されようが、「使ってはならない」という考えの恐ろしさ。捕鯨再開へのプロセスはこういうものに対する戦いの場だという考え方を持っています。
それには今まで通り、現状維持で進めていたのでは全然動かない。あるいは「フロリアノポリス宣言」のようなものでIWCが変質してしまう。その考え方自体が進めなくなる。後退していく。

今年はワシントン条約という会議があります。絶滅の危機に瀕した動植物の国際取引に関する条約。成田空港から海外旅行に行くと、「エキゾティックアニマルを持ち帰ってはいけません」とある。例えば、アフリカゾウは持ち帰ってはいけない動物の一つになっています。アフリカゾウはケニアや南サハラでは確かに絶滅危惧種とされるくらい獲られている。密漁も多い。ところが、ナミビアや南アフリカ共和国では保存に成功して実は多すぎる。にも関わらず、「アフリカゾウなので触ってはいけない」となってしまう。

ワシントン条約の議論の中で今回も出ていますが、「違法な密漁のものが出てくるので、象牙に関する正当な市場を全部閉めよう」と。これは「スピード違反があるから、車の運転はやめましょう」という話です。
こういう例がいろいろなところに出てきていることをわれわれは知っている。「クジラはその最前線だ」という頭があります。

脱退した後で、われわれはオブザーバーとしてIWCにまた参加します。日本政府が掲げる「商業捕鯨再開」という目的のために、われわれはIWCの中で苦労をしてきました。脱退という形で一つの答えを導き出した。後はわれわれはIWCの中でいろいろな戦い方ができます。その重要性はまだ依然として残っている。オブザーバーとして参加しながら、それを続けるのが今の立場です。

先ほども言いました通り、持続的利用支持国は現在27カ国。捕鯨に関して「日本は孤立している」とよく言われますが、味方は決して少なくありません。こういう国々の関心は実はワシントン条約の議論のような柱です。自分たちの国で食べているものを「これは食べてはいけない」といった言い方をされる。

例を挙げると長くなりますが、アフリカには「ブッシュミート」があります。一部のアフリカの人たちは昔から森に入り、いろいろな生き物を獲ってきて、それを食べたり、いろいろと利用したりして生きてきた。そのときに目についたもの、使えるものは全て利用してきたわけです。日本の漁業で網に入ってきた魚は全部いただくというのと同じような感覚でしょう。

欧米型の考え方をすれば、これは間違いとなる。「全ての生き物についてちゃんと資源評価をして、捕獲枠を決め、取締をしないとやってはいけない」「環境に悪影響を与えるじゃないか」というわけです。もしかしたら、今獲った動物はその種の最後の1頭だったかもしれない。漁師の網の中に入った魚は絶滅危惧種だったかもしれない。だから、そういう活動はやめましょう。ブッシュミートもやめましょう。そういう議論がすでに起こっています。

こういう形もあって、特に多くの小さな発展途上国の危機感は非常に大きい。彼らはこうした考え方を「環境帝国主義」「環境植民地主義」と呼びます。
国連持続可能な開発会議(リオ+20)という会議が地球サミットから20年後、2012年に行われました。このとき、一部の先進国が「グリーンエコノミー」という考え方を通そうとして、途上国から総スカンを食らった。私も現場にいましたが、あの会議はほぼ決裂しかけました。大きな理由の一つがグリーンエコノミーです。先進国が途上国に対して「これが環境に優しい生き方だ」と押し付ける。そういう見方です。

同じように「環境帝国主義」「環境植民地主義」という構図をIWCに見ている途上国もたくさんある。この点は日本ではなかなか報道されません。残念ながら、説明しても、なかなか報じてもらえません。
話は長くなりましたが、そういう大きな世界の中の一部だという捉え方を私はして、今までIWCに臨んできました。

なぜ捕鯨が批判されるのか

伊藤 私は昭和17年生まれです。戦後の食糧難の中、クジラや赤犬、ハトはみな食糧として見ていた。そういうイメージがあるので、街にハトがいると、「食糧がいっぱいあっていいな」と思う。難しい理論はわからないんですが。東京・蒲田に有名な鯨肉店がありましたが、なくなった。そういうのを見ると、捕鯨の禁止などやっていても、結局は異常気象などで地球人口が70億人を超える中、食糧が足りなくなっていくのは明らかです。牛のエサにトウモロコシをやるより、自分たちで食べたほうがいいんじゃないかという時代が来たときに、国の安全保障上、自分たちの区域の中でクジラを獲ることがなぜ悪いのか。そのへんがよくわからない。国際的にはどういう理論なんですか。

森下 「クジラ自身がカリスマ動物だから獲るのは駄目だ」と言ってしまえば、一言になるんです。もう一つは法律的な問題を言いますと、200海里(排他的経済水域)の中についても実は国連海洋法条約や他の条約の関係で国際管理を受ける可能性がある。

国際捕鯨取締条約は1946年にワシントンで調印され、日本は1951年に加入しました。当時、200海里のコンセプトは誰の頭の中にもなかった。ですから、国際捕鯨取締条約自体は日本の領海や200海里の中でも効力を発揮します。IWCの了解を得ないと商業捕鯨は再開できない。IWCのメンバーである限りはそうした法的な力が働くんです。

その後、1970年代後半に200海里が導入されます。ただ、国際捕鯨取締条約自体は残っていますから。日本はそれに縛られ、日本の200海里の中でもクジラは自由に獲れないということが脱退前にはあったんです。

実はマグロも似たようなものです。クロマグロが日本の沿岸で獲れすぎて、水産庁が枠を決めて止めてとかやってます。クロマグロも200海里の中であっても、国際管理を受ける魚です。
そういうところで資源が利用され、管理されているということを理解していないといけない。それに対してどういうやり方をするかを考えないといけないと思うんです。

そこで科学的な議論が通じる場合は非常にいいんです。われわれはマグロについてはそれをちゃんとやっている。そこでは捕獲枠も出てきて、それを遵守している。これで国際的な話はつくわけです。

IWCでは捕獲枠を作ることができない。だから抜けざるを得ないんです。
今の食糧安保のお話。これも大学の授業でやると、2〜3時間話すんですけども。実は日本の沿岸でクジラを獲って食べるのは、米国の牛肉を輸入して食べるよりも環境負荷の面で言うと、はるかに低いんです。当たり前ですが。

環境フットプリント(エコロジカル・フットプリント。地球の環境容量を表す数値。人間活動が環境に与える負荷を、資源の再生産および廃棄物の浄化に必要な面積として示す)で計算すると、米国の牛肉を買って日本に持ってくるのと比べて、200海里でクジラを獲ると、多分10分の1くらいになります。餌をやっていませんし、わざわざ遠くから運んでくることもないので。餌だけでも牛はカロリー的に10倍くらいを与えないと、同じカロリーの肉にはなりません。
それをさらに太平洋を超えて米国から持ってくるとなると、燃料が必要になりますから。日本の沿岸で銛でクジラを獲れば、10分の1くらいです。実は環境に優しい。そういう面もある。

ミンククジラの頭数

佐久間淳子 ブラジルでも議長をなさっているところを拝見しておりました。日本周辺のミンククジラの系群は2つだというのが日本の学者の分析だと。他の科学者によれば13のところもあるというお話でした。少ないほうのJ-Stock、日本海系群の調査、研究はこれからどのくらい進めるんでしょうか。それとミンククジラの捕獲枠をこれから設定すると思うんですけど、J-Stockと0-Stockと分けて設定すると、どのくらいの数になるんでしょう。

森下 今、計算中だということは申し上げられます。「数はいくらです」ということになると、明日の1面はえらいことになりますんで。実際に出ているかどうかは言いません。
捕獲の対象は0-Stock、太平洋側です。J-Stockは対象にしません。J-Stockの資源量についても意見の違いはありますが、今回の商業捕鯨再開で対象にするのは太平洋側のミンククジラだけになります。時期的に網走の沖だとか、場所によってはJ-Stockが混在する可能性もわれわれは知っています。どのくらいの割合で混在するかもデータがあります。
ですから、それを見ながら、漁期だとかタイミング、あるいは海域を調整しながら、J-Stockは獲れないようにという管理を行っていきます。

佐久間 確認です。網走ではやらないということですか。

森下 いいえ。そこは今言えませんけど、網走でも獲り分けは可能です。

佐久間 目視で見分けがつくということですか。

森下 違います。

クジラの捕食と漁業の競合について

山口一臣 クジラの捕食と漁業の競合の関係についてはIWCでは議論されてたりはするんでしょうか。

森下 私が捕鯨再開のための要望書を作った中で二つ使わない理論があります。一つは「文化だからやらせろ」。これは私は一切使いません。文化を守るのは大事。ですから、日本で捕鯨文化、食文化を守るために活動されている方は私は尊敬します。「ぜひやってください」と申し上げたい。

「文化だからやらせろ」と言った瞬間に、さっき70億というお話がありましたが、将来アフリカの人が「クジラを食べたい」と言ったときに、「あんたらは文化がないからやめろ」という話になります。もともとこれは文化の話ではない。クジラを持続可能な形で利用できるか否かという問題ですから。私は文化の話はしない。

で、もう一つはクジラの捕食の問題です。これも私は使いません。いろいろなデータが出ていて、それ自身は間違っていないんですが。世界中でクジラが食べている魚じゃなしに、海洋生物の量がだいたい漁業で獲られる魚の3〜5倍。ですから、そこにはプランクトンもあれば、オキアミもある。

「ホットスポットがある」というのは、いろいろな国の学者が認めるところです。結局、世界中のどこでもクジラと漁業は競合しているのかというと、競合しやすい場所がいくつかあるだろうと。日本の場合は「ホットスポット感」が非常に強いんですけど。そういうのはあるにしてもですね、「これだけ食べているから間引き」という議論をされる方はもちろんいますし、それはデータも公開されているんですけど、私自身はしていない。

IWCでは以前、「クジラが捕食する海洋生物についてもっと議論しましょう」ということを実は満場一致で決議して通したことがあります。だから、議論はやったんです。
ところが、これは同床異夢でして。例えば、クジラがたくさん食べているということがわかれば、米国などは「じゃあ、漁業を縮小しよう」という答えになるんです。日本の場合は「漁業のためにクジラを間引いたほうがいいんじゃないか」。もちろん、「クジラを全部獲れ」とは言いませんけども。「間引いたほうがいいんじゃないか。1割とか2割とか」ということを考えるわけです。米国とか反捕鯨国で言えば、「そんだけクジラが食べているんであれば、漁業を縮小すべき」と。

実際、クジラじゃないんですけど、トドですね。アラスカ近辺にいるトドがかまぼこの材料になるスケトウダラをいっぱい食べるんです。これの競合がデータ上かなり出ています。出たことを受けて米国はスケトウダラを獲る漁業を大きく禁止しました。
だから、向いている方向が違うんです。米国には海産哺乳動物保護法という法律があります。ここでは海産哺乳動物へのハラスメントも禁止されている。読み方によってはアザラシやトドに向かって「バカ」と言ったら、逮捕されますから。そういう法律なんです。

これは笑っても仕方がないんです。それが法律としてその国の議会で通ったわけですから。
他の国から見れば、日本でクジラやハトを食べるのはとても奇異な感じになります。でも、お隣の国に行ったら、今でも犬を食べる文化はあるわけですし。

この頃、昆虫食の本がはやってますけど。虫って非常に重要な動物タンパクですね。「気持ち悪い」と言ってしまったら、そこで終わりますけど。
それぞれの土地、国で食べてきたものを「おかしいから」「気持ち悪いから」「うちでは食べないから」ということで否定して。ここの恐ろしさもこの問題にはあると思います。

カリスマ動物をめぐる議論の中でフランスの学者が書いた論文に面白いものがありました。ロンドンの子供にキリン、ライオン、トラといったよくある動物について聞くと、みんな「かわいい」「美しい」といった答えが返ってくる。多分、日本のお子さんに聞いても同じだと思います。

ところが、同じことをタンザニアの子供に聞いたら、「恐ろしい」なんです。あるいは「近寄ってはいけない動物だ」と。恐怖感なり危機感なりが非常に強い。それはそうです。毎日、檻のないところでそういう動物と同じところで生きている人からすれば、それは現実の感覚なわけです。うっかりすれば、知っている人がライオンに殺されたり、大けがをしたりする。それを見た子供もいるんだと思います。彼らからすれば、シカの類とか食糧になる動物、そういうものがいいんです。

幼稚園の子供がライオンの絵を描いているのを「かわいいな」と思って日本人は見てしまう。ですが、タンザニアの子供にそれを見せると、とんでもないイメージになる。住んでいる国によってこれぐらい違うわけですね。グローバリズムといわれる世の中でそれがだんだん見えなくなって。先ほどの環境帝国主義ではないですけど、何となく「これが世界基準だ」みたいなものをみんなが受け入れる。「受け入れないと変だ」という感じが出てきていることの危うさも捕鯨問題の一面です。

脱退はいつ頃浮上したのか

片田 2点うかがいます。
まず、脱退は交渉の過程でいつ頃、選択肢として浮上したんでしょうか。
もう一つは脱退を決められて以降の国内世論の動向をどうご覧になっているか。新しい国際機関を作るにしても、国内世論を引きつけながらの交渉が必要になってくるかと思います。そこはどうお考えでしょうか。

森下 日本の代表団が脱退に言及したのは、恐らく20〜30年前にさかのぼります。私の先輩方が「こんなことをしていたら脱退だぞ」と発言したことは何回もあります。
それから2007年。このときには割と真実味が高まったんですが。それまでは若干「オオカミ少年」っぽい感じで聞かれていたと思います。

2007年の時点でアンカレッジで会議をやったんですが、やはり非常に理不尽な扱いを受けまして。当時の日本の代表、水産庁の中前明次長が、実は今回の谷合副大臣のほぼコピーなんですけど、「あらゆるオプションを帰ってから検討せざるを得ない」という言い方をして帰ってきた。

その前後に自民党のプロジェクトチームではどういう対応をすべきかを2年くらいかけましたかね、議論をして。その勧告を自民党として出した。その中には脱退がオプションの一つとしてすでに入っています。条約上どういうことになるかとか、そういうものを全部検討した記録が残っています。

当時のPTの座長は参議院議員の林芳正さんです。この間まで文部科学大臣をされていた。メンバーとして防衛大臣で有名な浜田靖一先生とか、五輪担当大臣や環境大臣を歴任した鈴木俊一先生もいました。この人たちは10何年まえにその話をしているんですね。その場で「あらゆるオプションを検討する」と言って帰っている。

当時は機があまり熟さなかった。あるいは政治的にもいろいろなことがありました。会議をやっている最中に松岡利勝農林水産大臣が自殺した。それから月替りで大臣が交代しました。それから自民党自身がまだ非常に揺れている時期でもあった。

今回はよくも悪くも超安定政権の状況。脱退はやはり重たい話だと思います。大きなことが動くときには、いろいろなことが偶然、意図的含めて同時に起こる。
今回はブラジルから反対の提案、「フロリアノポリス宣言」が出てきたのも私はよかったと思っています。ある意味ではコインの裏側の議論が出てきて。明確にIWCは答えを出したわけですね。こんなにはっきりしたメッセージはなかった。

日本の提案だけでもはっきりしたとは思うんですが。両方からある意味では「IWCはこうあるべきだ」という将来の話が出て、明確な答えが出た。これは意図したことではなく、本当にこういう時期にちょうど来ました。
それから、国内で特にどういうことかということだと思うんですが、これも予想通り、脱退後、1〜2日は「性急すぎる」「短絡的だ」といった社説も出ました。読ませていただくと、過去の歴史はあまりよくご存じではなかったかと思います。

もう少し落ち着いてきますと、捕鯨をやっている地域、太地や下関からサポートの声が出てくる。あのニュースを境に自分で勉強された方もたくさんいらしたと思う。「よく見ると、仕方がないという感じもする」という声もじわじわと広がってきた。

食文化の広がり

産經新聞 今回の脱退を機に捕鯨問題は商業捕鯨再開だけの問題に止まらず、食文化やその外へも広がりを持ってきている気がします。その点はいかがでしょうか。

森下 食について言えば、日本は先進国の中でもユニークな立場です。いろいろな食べ物を食べてきた。食文化が豊か。動物とのつながりについても独特なものを持っている。
私の専門である漁業でいうと、国民が食べている7〜8割ほどの魚の種類はノルウェーでは7〜8種類。日本だと、これが20何種類。それだけ多様性が高いわけです。他の食べ物についても多様性は高い。多様性が高いということはいろいろな動物を食べているということにもつながります。

さらにIWCの中には宗教をやる人もいるんですが、仏教の世界、あるいは神道の世界、アニミズムの世界は多様性の世界なんですね。一神教の世界とは違う。
一神教的な価値観が強いと、それ以外のものに対する受け入れの許容能力が非常に下がります。
日本はそこの部分では「軟体動物」とかいろいろ言われましたが、いろいろなことを受け入れつつ、その実、どれも受け入れなかった。かつてキリスト教の宣教師が来て、仏教の中でキリスト教が受け入れられたとき、他の宗教が残ることが彼らにとってとても不思議だった。

日本の場合は「八百万プラス1」でキリスト教を受け入れたわけです。他の国から言えば、八百万が消えてしまわないと、布教にはならないわけですね。ところが日本では食べ物にせよ、文化にせよ、多様性を持っている。途上国というのは実は非常に多様性がある。先進国に比べていろいろな意味ですごく多様性を持っています。
その生き方がだんだん先進国型になっていく。日本も含めてですね。動物との付き合い、何を食べるかというのはその中の一つとして避けられない問題です。

日本は先進国の中で食料自給率は一番低い。カロリーベースかどうかという議論はありますが。
先進国はだいたい工業国です。一方で大食糧生産国でもある。米国だって100%以上。カナダもそうです。豪州は200%くらいありますね。
英国やドイツは日本と同じで低いかなと思う。英国の食料自給率はそれでも78%くらいあります。ドイツは90数%。日本はカロリーベースで38%です。

「日本は昔から山が多いし、平地が狭いからしょうがないんだ」という言い方がされますが、1961年の日本の食料自給率は78%。当時の英国の食料自給率は40数%です。ドイツも低かった。カナダも当時100%だったのが、今は200%です。いろいろな先進国がこの数十年で食料生産を上げてきたんですね。日本だけが逆を向いていて、下がっている。

こういうユニークさが実はあって。多くの発展途上国は食料自給率が非常に低い。食べ物は輸入。自分たちの作ったものは商品作物として外へ出ていく。地元の人々は農園で作ったものを食べられない。
そういう状況は日本と非常に通じるところがあります。捕鯨も含む環境関係の会議では日本の主張は他の先進国と若干違っている。むしろ途上国寄りみたいなところがあります。

これは存在感を示す上で非常にユニークな点です。ぜひそこを日本としては意識しながらやっていくべきでしょう。今年はTICAD7(第7回アフリカ開発会議)が開かれます。ああいうところで日本がアフリカを経済開発で助ける以外にも、世界で当たり前とされている多くの基準について、それが途上国にとって適切なのかという問題提起をしてもいいんじゃないか。そういうところにも捕鯨の問題はつながっていきます。

今の70億の人口が2050年には90億を超える。20億増やして、さらに所得が上がると、肉が増える。ですから、20億分の食料を足せば済む話ではありません。
そういうときに今、世界の90%くらいの人が食べている動植物の数は23種類しかない。動物が8種類で植物は15種類。これを「多い」と見られるなら、認識を変えたほうがいいでしょう。
8種類の動物というと、牛や豚、羊、ニワトリなど。魚は1種類と数えるのかどうかわかりませんが。それくらいの感じです。ブッシュミートのような多様と言われるものが全然入っていない。国連食糧農業機関(FAO)の事務局長が「こんな恐ろしいことはない」と言っている。

人間が農業を始めて以来、植物は7000種類くらい開発してきました。そのうち今は15種類で90%。小麦と大豆とトウモロコシと米と何とかで。
そのときに気候変動が起きたらどうするのか。あるいは皆さんご存じのように栽培植物の種って本当に少ない数の会社が作っている。モンサントとか。あれは2世代目、3世代目が作れない種です。

あるいは牛海綿状脳症(BSE)や口蹄疫、鳥インフルエンザとか。はやり始めたら、世界中にあっという間に広がります。そういうときに多様性が失われる方向に物事が動いている怖さみたいなものもあります。
生物にとって多様性が「レジリエンス」といわれる回復力のキーになる。いろんな種がある。いろんな動物を食べる。地元でいろいろなものが食べられる。
カリスマ動物やクジラの話はそういう大きなところにもつながります。

IWCの理想形

THE PRESS JAPAN 櫻井真弓 2点あります。
先生は自民党の部会ではお話をされているようですが、他の政党、野党では説明なり講演なりをしておられますか。
もう一つは先生がお考えになるIWCの理想形はどのようなものでしょうか。それは国際社会にとってどのような役割を果たすのか。それも含めてお願いします。

森下 最初の点ですけど、捕鯨問題は非常に珍しい与野党一致の政策の一つです。ですから、この間のブラジルの会議にも与党の先生も野党の先生も全部行かれた。

櫻井 具体的なお名前をお聞きしてもいいですか。

森下 全て大丈夫です。共産党の先生方も含めて。それぞれの議員連盟であるとか。そこで今まで議論をしてきた。

櫻井 そういうことが伝わってないんですね。

森下 そうですね。残念ながら。非常に珍しい政策です。
それからもう一つの質問。理想像ですね。私は2017年から2年間、IWCの議長をやったので、話ができる特権があった。みんなに話させてから、「もう誰もないな」と言って、自分で話しました。そのときの言い方が私の理想像というか方向性を示しているかもしれません。

地球全体というか、世の中からいうと、「クジラを守らなければならない」というニーズは確かにあります。漁業の網に引っかかったり、船舶にぶつかったりするクジラを助けなければならない。こうしたニーズも含めて確かにある。
他方、先ほどもお話しした通り、クジラも含めた海産哺乳動物を利用している国は世界にいっぱいある。ですから、資源として将来までちゃんと利用していくには、これは管理しないといけない。捕獲枠を決めるなら決めて、それが守られているかどうかを国際的に管理しないといけない。このニーズがある。このニーズについて国連海洋法条約に「国際機関を通じて」と書いてあるのは、そういう意味です。

ところが、IWCの場では白か黒かしかない。真ん中がないんです。ですから、残念なことに「気候変動のクジラへの影響について議論しましょう」と言われて、日本が「イエス」と言ったら、「じゃあ、日本は捕鯨をやめるのか」と。理屈になりませんが、こういうふうになる。

お互いの提案はお互いに全部「ノー」という世界になってしまった。だから、国際機関の機能としてはちょっとおかしいだろうと。「両方のニーズをちゃんと満たすことができて初めて国際機関のはずだ」という言い方を私はしました。
国際機関に国会を通して国として参加し、分担金も払って、毎年毎年代表団を送る。ということであれば、この機関に参加することで、われわれの国には何らかの利益を受ける権利がある。譲らなければいけないことももちろんあるでしょうが、権利もあるんです。

日本にとってのIWCはあらゆる権利を否定される国際機関でした。そうであってはいけない。両方が認めて、お互いのすることには反対しない。そこまで行けば、日本は大手を振って、「気候変動についてもサポートしましょう」と言えるわけです。

実は今回の会議に至るまでも日本からはいろいろなメッセージを送り続けています。例えば、英国は動物福祉の問題が好きなんですね。その問題について英国が提案すると聞いた。捕鯨に直接関わらない他のクジラに関する動物福祉の話であれば、日本は反対しないと私から言いました。その約束は守った。

これは「Agree」と「Disagree」というのは可能なんだということを見てもらうためです。英国はその後、代表がいい人だったこともあるんですが、「今度、こういう提案をするんだ」と教えてくれるようになった。だから、芽はあったんですが、残念ながら4分の1以上の国は話し合いもできない。

理想としては共存ができる国際機関が理想です。これも2007年の脱退と同じなんですけど、「IWC2」という条約案を出したこともあるんです。そういう手は今まで全て出し尽くしてきた。
その中で今回のところになって。機も熟しただろうということもあります。一つのきっかけを与えて前に進もうというのが日本の立場。ですから、脱退はゴールでもなければ、捕鯨問題の終わりでもない。捕鯨問題は続きます。あるいは捕鯨問題がその一部であるもっと大きな問題があるかもしれない。

しかし、形は変わった。形を変えなければ、お互いに反対して終わりという非常に無駄な会議が続いていくだけです。
IWCの会議はかつて毎年行われていました。さすがにしびれを切らしたと言いますか、反捕鯨国の中にも「毎年出てくるのはちょっと」という声があって、2013年から2年に1回にした。

第二のIWC

佐久間 まさにこれから発言力を持ってやっていくということだと思います。第二のIWCを作るという話はどうなっていくんでしょうか。IWCの軒下のオブザーバーということでもなく、「北大西洋海産哺乳動物委員会」(NAMMCO、ナムコ)のブランチのような形でもなく、独自に日本が主体性を持ってやれますか。1990年代の最後にできるという動きがあったのが、途中で止まってしまったという記憶がありますが、どうなりますか。関心があります。

森下 これはどれか一つを選ばなくてはいけないという話ではありません。IWCにオブザーバーとして残るというのは国際協調の一部を残すということ。あるいは国際機関を通じて言うということ。NAMMCOとの協力もそう。IWC2も。全部進める。

当然ながら、新しい国際機関を作るには時間もかかります。ただ、これは作るのがゴールじゃない。作る過程も非常に大事になる。ある意味では初めて、捕鯨問題を象徴するところを議論できるわけですね。
ですから、作るのに何年かかるかわかりませんけど、そういう議論をちゃんと透明性のあるところでやって、それをいろいろなところでいろいろな人が聞いてくれるということになれば、それだけでも価値がある。「作らなきゃ意味がないだろう」ではない。
NAMMCOの場でもやっていく。IWCの科学委員会にもデータを出していきます。向こうは「いらない」と言うかもしれませんが。

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